歴史を学び、歴史に学ぶ


義倉(ギソウ)という飢饉対策の備荒貯穀制度が、民間主体で運営されていたのだとか。
設立は明和6(1769)年で、家産は問わず、出資も強制されない、義志の浅深に任せられた倉。
貧民救済と商業資本に利用されたというのだから、今、最も求められている役割じゃなあい?
天明の飢饉、文政、天保の飢饉では、遺憾なくその救恤機能を発揮したという。
現存する大量の帳簿を書き下して、ひたすら数字を追っていくと、
言葉で書かれた記録以上に、いろんな事が分かって来るのだそう。
ふむ。
そうやって導き出された、時代が下るにつれての義倉運用の流れが面白い。
ちょうど実生活でも、数字は嘘をつかない、と痛感していたところだったから、
なお一層、ふむ。